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登山日記や訪れた街の様子をレポートします

雑記 町田康著書「告白」の読書感想・他 

読書感想 町田康氏 告白 中公文庫
※後半は読書感想文から離れた雑記となり、結局駄文です。

私は電車通勤の間、もっぱら文庫本の小説を読んでいる。最近読んで酷く感銘を受けた告白という小説の感想と共に、近頃の思いを記しておこうと思う。
手持ちの未読の小説が少なくなると本屋の文庫本コーナーに行き物色するのだが、ひと際太い幅の小説で見覚えがあった。冒険家の角幡唯介氏の読書レビューのような本を読んでいた時、この本について書かれていたのを読んだのがきっかけで、小説を購入した。満員電車で立って人と肩で戦いながらを読むにはとても分厚い文庫本で苦労した。後から見ると850ページもある。

この本は明治時代に実際にあった大阪河内地方の大量殺人事件に材を採っている。この大量殺人事件は「河内十人斬り」として河内音頭のスタンダードナンバーになっており、地元近辺の人なら誰でも知っている話だそうだ。男貰うなら熊太郎弥太郎、と言われているそう。
当の事件自体については物語の最終盤で語られるが、それまでは熊太郎という青年の葛藤の話に終始する。世の中と、自分の考えとのすれ違いにひたすら違和感を感じ、行動も上手くいかないという青年期によくある話だろうか。ここまで緻密に表現出来ているのはきっと著者も同じ経験にずっぽし嵌ったのであろう。私も、全く同じだ。

主人公は自分が想像する正義感、嘘をつくことはいけないことや困っている人を助けたいと思うことは本音では誰でも同じだろうと信じているが、現実のあまりに現実的な世界の成り立ちとズレがあり悩み苦しみ、泥沼に嵌っていく。最終的には限界を超えて自暴自棄となり発狂のような状態となって題材の事件となる。私も30、40人程のクラスという枠に入った小中高の学生時代や、社会人になった今でもずっと同じ思いだ。自分が男なので女性については正しく知り得ないが、男性の青年期は皆が同じなのではないかと今でも思う。それでも、学生時代でも「こいつ、ほんまか?」と思うような出来事が何度も何度もあった。目の前の私一人には嘘とバレているのを分かりながら、それ以外の全員に嘘と分からなければ良いという考えで平気で嘘をつき、しかも顔を紅潮させまでして周囲に自分が正しいと主張する奴。

どこかで、絶対的な存在の神様が見ていて、正しいことは最後まで正しい、嘘や偽善は現実的な世界での罰は免れたとしても嘘は嘘である。とならないことは、私もいい年なので薄々感じている。それでもどこかに、この間違った事を平然と、ズルくやり抜けようとしている奴を見ると許せない気持ちが私は人より強いのだと思う。その為随分と現実世界的な価値観における幸せや財産という面で、悉く人より少ない持ち分となっているのではないかと思う。

例えば最近の山登りに行った時の話。1つは先の記事にも書いたが登山口へ向かうバスを待つ行列に横入りしようとした男性。長い行列ができ最後尾は私とその後ろに一人。後から来たその男は最後尾は嫌なのだろうか割り込み易そうな気弱な感じのする体躯の私の横にくっつき、列が前に進むたびに私の前の人の背中にピッタリ張付き始めた。始めは意味が分からなかったが次第に苛立ちが募り割り込ませないよう私も前に張付くようにすると肩を入れてどんどんと張付くようにしてきた。のんびりしたバス待ちの行列で異様な光景である。頭に来て「何してんだお前」と大声を出すと、「どうぞどうぞ」と言って私に先に行かせようとした。いやいや、どうぞじゃなくて皆並んでるんだから並んでねと言うと、私も並んでたからと言い出す。「はあ?」となった。果たして、これは何だろうか。何を言ってもずっと、どうぞどうぞ、と、私も並んでたという言葉を繰り返していた。60以上に見えるいい歳をしたおっさんである。その日の登山はやめてこいつを徹底的に詰めて謝らせるか、せっかく新幹線に乗ってこの日の登山を楽しみに来たのだから我慢してバスに乗るか迷ったが、結局バスに乗った。はらわたは煮えくり返り、指先は怒りで震えていた。

ツアー会社の企画する登山ツアーでは、ほとんどが高齢の参加者だ。私もいい年なのだが見た目が若く見えるのと、参加されてる多くの方と比較すると実際に10歳20歳若いため、若い人がポツンと参加しているように見える。そこは気にしないでくれる、もしくは好意的に見てくれる人が多いが、逆にとる人もたまにいる。何が気にくわないのか、若さへの妬みなのか(前述の通り若くないのだが)、間違いなくそのような変なことをするのは男性である。先日参加したツアーでは、道中歩いていると私の後ろの男性がカァー、ペッと唾を吐いている。登山中に道に唾を吐くなどかなり異常な光景である。始めは喉の調子でも悪いのかなと思ったが、次第にその男性が私の後ろになったとき、そして周囲と列の間隔が少し開いたときに必ずこのカー、ペッをやりだすと分かってきた。これに気づいてからは非常に面白くない登山となった。

本屋の文庫本のコーナーには、時代の流れであろう自己啓発的な本も多く並んでおり、その中には鈍感力と呼ばれるようなマイナスのイメージやネガティブな出来事をできるだけ気にしないことを勧めるものもある。私は人より繊細でひ弱な受け取り方をする方だと自分で思う。それらの本を読んだとして、頭ではそうかと分かってもきっともうそう出来ないだろう。少しでもその方向に軌道修正出来ないのは、きっとどこかにそうなりたくないという未練たらたらの願望が、しつこく粘りついているのだ。
客観視すれば気にしすぎ、些細なことに拘り過ぎの性質なのだろう。世の中を見渡せば、世間を騒がせる事件のニュースでは刑が確定した犯人が延々と無実を主張していたりする。その真偽は他者からは分かり得ないが、当事者で自分だけは本当の本当に真実を知っているのにそれを証明できず疑わしきは罰せずの論理に屈服して人生を終えるのはどんな気分か。
無差別殺人などという一見意味不明で理解できないこととしてもみ消したい事件のニュースも最近よく目にする。感情や、これらに関する困難な問題は本当に難しい。技術の進歩や快適さの追求より、これらの問題に対する進歩が本当は急務なのではないか。正しく生きる人が、報われる世界であってほしいと、未だに思う。
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